こんにちは ヤッコです。
年度が変わり皆さんは新しい生活に慣れてきたころでしょうか?
水窪町というのは春になるたびに人口が減ります。
中学や高校を卒業すると市街地で暮らすことになるんですよね。
地元で働くという選択はなかなか難しいようです。
過疎を止められない水窪町ですが、ここ最近、町の風景が少しずつ変わってきた気がします。
とくに水窪町へ移住されてきた方々の活躍には目を見張りますね。
お洒落なカフェやお店がいつの間にかできて…私たちの子ども世代が故郷に友達を連れて遊びにきても楽しんでもらえるかもしれない。そんな期待が大いにあります。
しかしそれとはうらはらに、私などは町の風景が変わることにふと、寂しさを感じることがあるんですよね。
変わることは必要です。そして活気のある町を嬉しく思うのに。
ざわめくセンチメンタルの正体はなに?
小松屋製菓も数年前に昔の店舗から新しくなりました。
「お洒落な店ですね」
とお客様からお褒めの言葉をいただくとそりゃ、嬉しいですよー。
「変わらなければ存続できないから」と親方は言います。しかし昔からのことを誰よりも大切にもしてしています。
昔から使っていたお店の包装紙もマッチだって捨てられないんですからね。
私は親方とは同世代です。互いに水窪町が元気だった記憶が残っていますし、先輩たちがしてきた町づくりにも敬意を感じてます。
親方は自分のすべきを受け継ぎ自らも挑戦しながら新しいことに向かう人たちを応援している様子です。
私にはそういったものがないからでしょうね。ざわめくわけです。
親方には先代から引き継いだ精神や技術、すなわち水窪町の食文化に携わる仕事が自分の中にある、何が変わっていってもそんなふうに軸になる確かなものが私にはないということです。
町の風景が変わることに寂しさを感じるなどと言って眺めていたら消極的にうつるかもしれませんが
ただ、そのざわめきの正体が「愛郷心」だと気がついたんです。
「ちょうだーい」と駆け込んだ駄菓子屋さん。学校帰りの寄り道、火の用心橋。
土曜日の帰り道、さすたけの手羽先をあき姉ちゃんから買ったわいね。
大滝屋では金曜日に揚げパン、丸山書店での立ち読み、懐かしい記憶が愛おしくてそれらを思い出してしまうから。
何もない私はやはり町の記録を書き留めなければと強く思いました。
いつも私は町の風紋を書きのこしている時、一番安心できるような気がしています。
子どもたちが帰ってきてワクワクするような「自慢できる故郷」は新しい水窪として受け止めていきたい
その子どもたちが成長して私たちくらいの歳になり、町の歴史に興味を持てたとき「誇りに思える故郷」
水窪町の先人たちが喜んでくれることを遺して行けますように。
私は記録係として役にたてたらなと思います。
そんなふうに先人たちの誇りをまもれた時に皆さんも安心して新しいものを受け入れていけるのではないでしょうか。
いつか、個人の投稿で私が生まれた頃の商店街の地図をつくると約束しましたね。
あれからずいぶん経ちましたが、今年はなんとか完成させたいと思います。
そうだ!トシ兄に協力してもらおうかなー。とたくらんでます。
読んでいただきありがとうございました。今日も良い日になりますように。